ホリスティックな学びはまるで〇〇〇?!

こんにちは。通訳藝術道場の冠木友紀子です。
冬らしい寒い日が続きますね。

この冬は地元のとても居心地の良いカフェ、きっちんぴいすさんでクリスマスの歌(讃美歌)を英語で歌う会を開きました。

採り上げたのは、「O Little Town of Bethlehem」。

数日後、オーナーさんにお目にかかると、「振り返るとなんだか不思議な余韻…」とおっしゃるのです。

室内、、「甲宇和司 税위) O little town of Bethlehem How still we see thee lie! Above thy sleep Thesilent stars go by. Yet inthy streets shineth dark The Thehopes evertasting Light; and tearsof Aremetitthee all the tontght years」というテキストの画像のようです

英語のリズムを体感するワークはあった。でも、英語をうまくしゃべることを目的としているわけではなかった。英語の歴史、語源にもふれたけれど英語の勉強ではなかった。英語で歌うヒントも示されたけれど、音楽の授業ではなかった。なんと呼べばよいのか…

自分でも思いがけない言葉が飛び出しました。

「赤ちゃんのお世話をする感覚なんです。」

はるか昔、妹の子守りをしていたときのことを思い出しました。

赤ちゃんをお世話する人は、赤ちゃんのすべてを見るでしょう。

おむつを替えるとき、お風呂に入れるとき、ごはんを食べさせるとき、皮膚だけ、ごきげんだけ、食べる量だけ見ているわけではない。表から裏からひっくりかえして、赤ちゃんのすべてを確かめたい、見たいでしょう。

赤ちゃんも、歌も、ひとつの枠に居着くと「出会えない」気がするのです。

確かに、一時的にひとつの枠に注目する効用もあります。
ただ、そこで止まっていては残念。やがてそれをどう自分の武器として利用してやろうか、なんてことばかり気になったりはしませんか(テストでいい点を取ることしか考えないとか)。

赤ちゃんをお世話するときに、子守りの姉が第一に自分のメリットを考えるでしょうか(まあ、父母の顔色を窺うこともあるでしょうが)。赤ちゃんに無心に尽くす。だって、自分のことなんかかまっている余裕はないから。それに赤ちゃんが無垢な信頼で応える。赤ちゃんの信頼を勝ち取るために世話をするのではありません。

そんな関わりが、学びにあってもいいと思うのです。

きっと、私はずっとそうだったのです。それが、リベラル・アーツの学び、ホリスティックな学びだと思っています。

試験勉強にはあまり興味がわきませんでしたが、損をしたとは思っていません。後悔もしていません。

通訳の準備もそんな気持ちでしています。

時代遅れかもしれません。

でも、世の中が赤ちゃんだらけに見えたら、何かが変わる気がするのです。

(もっか、文中の「赤ちゃん」を「猫」に置き換えたような暮らしです…。)

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