私がヴァイオリンを手放さないのは…
実は私、ヴァイオリンを習っています。
万年初心者で近所迷惑、人前で弾く気はさらさらございません。
でも無駄と思ったことはないし、一生手放さないと思ってます。
なぜ?
「できてない」をつきつけてくれるから。
できてないのに「できた気に」なんて決してさせてくれないから。
本当に厳しい。鏡より厳しい。楽しい瞬間なんてめったにない。
でも、ちゃちな楽しさが欲しいなら他にある。もっと大事なことがある。
いい歳をして飽きもせず赤ん坊の歩く練習のようなフレーズを弾いています。
感情のままにわ~っと歌いたい気分のとき、こういうフレーズは本当にイライラするし情けない。
でも何度も繰り返すと、なんだか不思議な「目覚めた瞑想」状態になっていることがあるのです。頭と心は空っぽ、耳と身体だけが動いているような…これがたまりません。やるべきことが沢山あるのにどれにも手を付ける気がしないときは、まずこの練習です。なんか頭がすっきりするんです。
もう「シンプルアレンジで憧れのあのメロディーが弾けます」みたいな楽譜には手を出す気がしません。それ、別物ですから。
楽器との出会いは15のとき。まあいろいろあってやっと先生に出会えたのは28のとき。その間の14年はただ苦しかった。弾けていないのがわかっていたから。楽器にも申し訳なかった。
「弾けば弾くほど下手になる」
「こんなもんじゃない」
「弾ける人が体得している筋がある。私にはそれがない。」
「筋は人から学ぶもの」
ずっとそう感じてはいたのです。
限りなく優しい先生は赤ちゃんの一歩もゆるがせにせず、「弾いてるつもりごっこ」を決して許されない。先生には本当に感謝しています。
あ、これ、私が師と定める先生たちの共通点…!
私も通訳・翻訳の先生としてこの列に連なろうとしている(つもり?)
ごめんね、いいとこ無理やり見つけてほめたりしないよ。私がそれをやると気持ち悪いみたいだし。励ます、受け入れる、ってそんなインスタントなことじゃないだろうしね。