ATMみたいな通訳口調になりたくなかったら

通訳っていうと、ATMみたいな話し方思い浮かべません?

なんでああなるんだろ。ATMの通訳ならそれでもいいんだけど。でも、そうでないなら通訳が勝手なことをしている。

もっと聴けば、息を合わせれば、そうなるはずがない。通訳者のへんな自我が消える。

自我を消すってね、弱いから消されるのとは違います。自分の意志で消えることを選ぶのは強いからこそできること。頑なな強さではなくしなやかな強さです。(で、こんなことで消えやしません。)

強さのもとは普段からのべらぼうな準備、さまざまな文体、語りを学ぶこと。

ときにはもう声を聴くことのできない昔の人々が記した言葉にチャレンジすることも。文字を声に起こし、景色を描く。

そうして自分以外のすべてに、ひとつずつ成れ。

そんな思いをこめて通訳道場では古今の英語、日本語の名文、名調子をアンソロジーとして朗読しています。

さて、。今日は「平家物語」の中でも印象深い「那須与一」を日英交互に読んでみました。この段には言語造形(言葉の響きでそのものの本質に迫り、描こうとする試み)の名手である諏訪耕志さんのレッスンで出会いました。

念のため、あらすじ。平家が差し出す扇の的を射させようと義経は与一を指名。ところが与一、はじめは「できないかも」と最近のおりこうちゃんみたいにぐだぐだ言います。それを義経が叱り飛ばし、与一は使命に目覚めます。面白いことに「俺はあの的を射たい」でも「俺はあの的を射る」でもなく「射させたまえ」と祈っていること。大いなる力に任せ、欲を手放した与一には激しい海風や揺れる扇もただ静かに感じられたよう。

美しい英訳はスタンフォード、UCバークリーで日本研究に尽くされたHellen Craig McCullough先生の作品です。お手本の音声がないので、ひたすら心にイメージを描くことを意識しました。さて、どうでしょう。(途中でカラスが鳴いております…とほほ)

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