ストーリーテリング通訳―できるかできないか考える前にやってみた
友達に思いがけないことを頼まれた?できるかできないかわからない?
そんなこと考える暇があったらやってみなさいな。結果がどうであれ大丈夫。
お友達が頼んできたのならなおさら!
自分では「なんじゃそれ?」と思うことも、すでにその友達には「君ならできる」が見えている。ここでグダグダいうのはただの保身。
私にはストーリーテリングの通訳がまさにそうでした。
写真のCDジャケットに写っている男性はストーリーテラーのニックさん。5年前の秋のこと、福島まで運転手をつとめ、ほっとしてあくび連発の私にニックさんが言ったのです。それも珍しく深刻な顔で。
「ユキコ、今日から君がいるときは必ず僕の通訳をしてほしい。僕はひとことひとこと大事にしたい。『英語がそんなにわからなくても雰囲気で充分』なんていう人もいるけど、そうは思えない。本当は英語がわからない、話が見えてない人たちをそのままにして語り続けるのはいやなんだよ。だから頼む。」
うん。わかった。(昨日の那須与一より私は単純。)
やってみました。できました。得意です。
ストーリーテリングの通訳をしたからこそ、一般的な通訳観にはない2つの要素を洗い出せました。
なつかしいチャレンジをありがたく思い出しています。
そして、もっとたくさんの方々にストーリーテリングを届けたいと願っています。そのために…まもなくリリースする歌詞カードもテキストもないCD(!!)に訳詩をつけています。
自然に太宰みたいな手法になってきました。
編集者が口述筆記したはずの作品。なぜか草稿が見つかったそうで。一度書いて、それを暗誦し、語りに耐えうるかどうか確かめ、編集者には隠して初めて語るようなふりをしていたということ。つまり、言葉を声で身体に通したということ。
ニックさんたちに似つかわしい方法です。
CDリリース情報はこの個人サイトでなく、道場サイトでお知らせします。