新型コロナ騒動のさなか、嬉しいこと
持続可能な社会のための通訳者、冠木友紀子です。
新コロ騒動、メディアの街頭インタビューに登場する人たちは、異口同音に「不安」を唱えます。
それはそうだろうけれど、私はちょっと違うことを感じています。
私は「自粛」以降、皆さんの「優しさ」に感じ入っています。
オンラインで通訳練習をする大人も、遠隔授業の大学生も、たまに出かけるお店の人も…
皆さん、優しいのです。苛立った声は自分の声以外聞いたことがありません!!!とほほ…
この感覚は前に体験したことが…そう、父が急逝したときのことでした。それまで母と妹と私の会話はそれぞれが言いたいことをぶつけ合う乱暴なもの。それが、急に3人とも優しくなったのです。父の急逝という悲しみを共にして、「○○(相手)も悲しいに違いない。大丈夫か様子が知りたい」と相手本位に、静かに聴き、話すようになったのです。それまではそれぞれに別々の人生を歩んでいて、別々だからこそわーわーしゃべって分かってもらいたい、でも聞いてくれない、とわめいていたのです。
いま、新型コロナウィルスという課題を共にして、私たちは互いに「きっと大変でしょう。お疲れではないですか?」と言葉にしなくても心で思っているのではないでしょうか。
「私、優しくなった!」なんて思っている人はそうそういないと思いますが、きっと皆さんちょっとずつ優しくなっています。ちょっとずつでも皆さんなんですから、これは相当なこと。私は今の地元の町の空気はなかなかいいと思っています。
私たちが優しくなれるのは、自分に余裕があるときよりも、誰かと痛み、悲しみを共にしているときではないでしょうか。 優しさが友を想う行動につながりますように。
ロッシーニの「3つの聖歌」のひとつ、「愛」も「苦しみゆえに人はつながる」と歌います。この歌には観音様が思われてなりません?!フェリス中高OG合唱団では次のコンサートに向けて、この愛唱歌を今頃練習しているはずだったのですが…練習再開の見込みがたちません。海外の動画でお楽しみください。
愛にみてるわが主よ
ながみ手にいだかれて
ともとなりしわれらは
くるしみをわかちあわん
愛にやどる主なるかみ
まずしきものにのぞみをあとう
愛にみてるこころは
よにひかりをもたらさん
ながひかりおおうところ
にくみあらそいあとをたちて
とわにしらす主のあい
たたかいをうちしずめん
にくみあらそいあとをたたん
(訳 鈴木一郎)