「スカーボロ・フェア」歌い手は何を願う?―深読み③
スカーボロ・フェアにかぶせられた「Canticle/聖歌」。よくある賛美歌とは趣が違います。
ちょうど季節は秋から冬に向かう今頃でしょうか。薄雪の上に小鳥の足跡が残るころ。
On the side of a hill in the deep forest green Tracing of sparrow on snow-crested brown Blankets and bedclothes the child of the mountain Sleeps unaware of the clarion call |
丘の斜面は 深い緑の森のなか 雀の足跡 雪化粧した茶色の地に 毛布に敷布 山の子は 眠って気付かぬ 呼び出し喇叭 |
山の子が眠る、ときくと干し草のベッドですやすや眠るハイジを思いだします。
でもこの「山の子」、なんだかハイジとは違います。呼び出し喇叭にも目覚めないのはなぜ?この緑の森や、薄雪をかぶった落ち葉がこの子の寝具だとしたら…
その眠りは永遠のもの。この子はもう自然とひとつに還っているのでは。
On the side of a hill in the sprinkling of leaves Washes the grave with silvery tears A soldier cleans and polishes a gun Sleeps unaware of the clarion call War bellows blazing in scarlet battalions |
丘の斜面に 木の葉舞い散り 洗うよ お墓を 銀のなみだで 兵卒ひとり、銃を磨く 眠って気付かぬ 呼び出し喇叭 戦火は猛る 緋色の大隊 |
兵卒は道具を自分で磨いても自由に使うことはできません。大将の「殺せ、戦え」という命令に従うよりありあせん。
理由なんてめちゃくちゃでも。
「聖歌」が「スカーボロ・フェア」に重なると、歌い手が戦場に向かう兵士に見えてきます。
縫い目も刺繍もいらないシャツは帷子、海辺の土地は永遠の眠りにつく場、ヘザーは慰めの供物…。
どうも愛する人に自分の弔いの準備を頼んでいるように聞こえてならないのです。
理不尽にも彼岸と此岸に分かれたとしても想いあっていたい、と歌っているような気がするのです。
詩や歌の象徴表現は、もとの言葉に忠実に読んでいるつもりでも、その時々でいろいろな景色を見せてくれます。
この歌から弔いのモチーフが浮かび上がってきたのは18年前のこと。ひとまわり以上若いひとたちを続けて見送りました。彼女らの友人たちとただ黙って何度もこの歌を聴いたのでした。
今になって、論理とは違う世界、答えない世界にじっくり付き合うことの大切さを実感します。
通訳の仕事は時間との勝負。やり直しがききません。前に進むしかない。うっかりするとやりっぱなしで逃げる癖がつく。
だから時間のあるときにじっくり詩を読んだり、翻訳したりするんです。
通訳道場 横浜CAT 第2期もやります。