文学が聞きにくい通訳を救う

zoom朝活通訳修行も好調です。今日はピーター・マクミランさんの百人一首の英訳が話題になりました。

このごろは、文学なんて大学の役立たず、高校でも必修から外すべし、などという声が聞こえますが、とんでもない。

文学とがっぷり四つに組むって大変な冒険、能動的な体験です。

のんびり英文学作品を日本語訳で読み、登場人物の気持ちを推し量る、精神分析をもてあそぶことなどではありません。(そんなことばっかりしてるから役立たず、って言われちゃうんです。)

例えば英詩を日本語の「詩」に訳す、日本語の俳句を英語「俳句」にしてみる。

ちょっとお手伝いしているフェリス女学院の同僚にも、アメリカ出身で、日本語で短歌づくりを楽しむ人がいます。さて、日本の英米文学科の学生で英詩を作ったことのある人はどれくらいいるのでしょう?

詩を詩に訳すには途方もないエネルギーがいります。詩を書くより大変かもしれません。時間をかけ、頭をひねり、多くの選択肢から1つを選び、それでもなお完璧だとは思えません。

時間に追われがちな通訳者の皆さんにも、ひとりでいられるお休みの日に、じっくり詩と取り組むことをおすすめします。豊かな時間となるはずです。

いや、それはちょっと無理…というなら、毎日一首、一句、一篇でよいので、英語、日本語で韻文作品を音読することをおすすめします。

なぜなら、通訳者にありがちな「聞きにくさ」「通訳口調」改善に効果抜群だからです。

通訳者の「聞きにくさ」の原因は、往々にして余分な「埋め草あぶく言葉」です。「えー、それといいますのも、つまり、しかしながらですね」聞かされる方はたまったものではありません。

これをやめよう、と意識すると逆効果。そんなことは意識せず、よいお手本に耳と口を慣らした方がうまくいきます。

私はドナルド・キーンさんの説明的でなく、余分な語がまったくない訳が好きです。

閑さや     Such stillness-
岩にしみ入る The cries of the cicadas
蝉の声 Sink into the rocks.

万葉集から江戸時代の漢詩までを網羅したドナルド・キーンさんの素晴らしいアンソロジー

もちろん、文学だけで通訳養成は不可能です。それについては別稿にて。

訳した感ゼロ、話芸としての通訳者 冠木友紀子のプロフィール

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