幕末横浜の「外国語」は?

ある中1のクラスでこんなことを耳にしました。
「日本語と英語は語順がちがいまーす。」(←間違ってる)
「英語は日本語と違って名詞の前にaとかtheとかつきまーす。」(←半端なこと言うな)

入門期に不適切に「差異」を協調するのってどうなんでしょうね。
あんまり英語を「外国語という壁」として示さないほうがいいんじゃないかと思いますけどね。

というわけで、英語の授業視察はなんだかんだ理由をつけてご遠慮しています。耐えがたきを耐え、忍び難きを忍ばなくてはならないから。

そもそも、幕末、明治初期の横浜は外「国」語という概念が薄かったようです。言語をナショナルなものとは捉えてはいなかったということです。

参勤交代のため、江戸はもちろん、横浜に近い東海道の宿場町もさまざまな地方の方言が飛び交っていました。当時、書き言葉に共通の文体はあっても、共通の話し言葉、いまの標準語のような言葉はまだなかったのです。( だからなんでもかんでも標準語にしか訳せない通訳者はちょっと居心地の悪さを感じてよろしいのです。)

どのくらいバラエティがあったかというと…たとえば標準語の「かまきり」も…

おがめ(岐阜・高知・佐賀・熊本・宮崎・鹿児島)
かまぎっちょ(茨城・栃木・埼玉・千葉・福岡)
いぼむし(宮城・秋田・山形・福島・新潟)
いぼくい(むし)(青森・岩手・千葉)
とかげ(!!)(埼玉・千葉・東京・山梨)
はらたち(群馬・千葉)
へんぼ(愛媛・高知)
ほとけうま(淡路島・徳島)
(「都道府県別 全国方言辞典」 佐藤亮一編 三省堂より)

これに
めあーんてぃす(英)
もーんと(仏)
ふぁんぐしゅれっけ(独)

が加わったところで「へえ?それが何か?」でしょう?

言葉は国家ではなく地元で共に暮らす人びとと結びついていたといえそうです。

そういえば、私たちのひいひいひい爺さん婆さんたちはきっと、自分たちを「日本人」だなんて思っていなかったでしょうね。「くに」といえば藩でしたから、「相模のひと」「会津のひと」という具合で。

昔も今も「この人の言っていることを理解したい」という願いが人を言葉に近づけるのだと思います。

さて、横浜といっても街中と違って日本人が体系的に英語と出会った場所がありました。さて、どこでしょう?それを次回以降ご紹介します。

持続可能な医療・農業・教育のための通訳者 冠木友紀子のプロフィール

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