「一度は通訳に憧れたけれど…」諦めるのはまだ早い
「私、学生の頃通訳に憧れてたんです。ダブルスクールもしたんですが…」
―あら、そうだったんですね。
「何年も通ったんですけど、結局通訳にはなれませんでした。」
―じゃあ、今は何を?
「自宅で児童英語を教えています。自分の子どもも小さいのでなるべく一緒にいたいですし。」
―ああ、それはいいですね。
「でも…ずっとこのままでいいとも思っていないんです。」
―通訳を諦めきれていないのでしょう?
「ええ」
もしかして、通訳レッスンはこんな感じだったのでは?
教室で先生が録音を少しずつ再生、そのたびに一人ずつあてられて訳す、…なんだか上手くないな、と思いながら訳を言う。先生がちょっと直す。おおっ、よくなったと思う。でもどうしたら先生がいなくても先生のような訳ができるようになるのかなかなか見えてこない。で、自分は日本語力がないのだろうと諦めた。
やっぱり。

訳の添削も決して無駄じゃない。でも、結果を操作して結果を改善するのは大変。もっと自然な方法がある。準備、仕込みを調えておのずとよい結果を得るという方法。言ってみれば当たり前だけど。
え?準備、仕込みが十分かどうかわからない…?
では、おたずねします。英語、日本語、それぞれで宴会芸として5分以上語れる演目はありますか?
5分以上しゃべる、じゃありません。古典的演目を一字一句たがわず語るのです。
例えば「外郎売の口上」(歌舞伎十八番より)、「祇園精舎」「那須与一」(平家物語)くらいのまとまりがあるものです。小倉百人一首はひとつひとつが短いので除外。「知らざあ言ってきかせやしょう」は小手試しにはいいけれど、短い。
英語ならParadise Lost (John Milton)出だしの26行にわたるInvocationや短くてもWordsworthのDaffodils。それからLincolnのThe Gettysburg Address。
え、そんなレパートリーない?じゃあ英語話すとき頭の中で英作文することはありませんか?
ある?…やっぱり。その状態では苦しいです。早く演目を体得、暗誦してください。
このくらいの分量になるとアタマの黒板に文字を思い浮かべている場合じゃなくなるんです。カラダから言葉が勝手に沸き上がるような感覚に変わる。まるで飛行機が雲の上に出るように。

そのためには自分の時間で繰り返し練習すること。私が代わりになることはできません。ずっとそばにいてやいのやいの言うわけにもいきません。自分でやってください。きっとできます。100回やるまで「できない」と言わないで。100回やってできなかったら1000回やればいい。自分でやることなのでお金もかかりません。それで次元が変わる。こんな面白いことあるかしら。
訳文添削が生きるのはこのあとです。
通訳は神ワザでもなんでもありません。理に適った方法で学べる人間らしい技です。何よりひとの話をじっくり聴くのが楽しみになります。第一歩はまとまりのある演目を体得すること。あなたのお気に入りを聞かせていただくのを楽しみにしています♪