通訳メモはどこに取る?
こんにちは。エキスパート通訳トレーナーの冠木友紀子です。
以前、担当していた医療通訳養成講座でのことです。
受講生のTさんの通訳がなかなか始まりません。話し手の発言が終わって3秒以内に訳し始めないと、リズムが乱れ、不穏な空気が漂い始めます。それなのに…。
私「どうしました?」
Tさん「待ってください。」
さては…!
こういう場合は十中八九メモの取りすぎです。
案の定、Tさんは速記のようなメモを取っていました。しかも、メモを取り終わったころには出だしの話を忘れていました。
これでは何のためのメモかわかりません。
Tさんはメモとり術を教えてほしい、と言いました。
私は断りました。努力の方向が間違っていると考えたからです。
通訳学校ではメモとりの臨時講座も人気です。「速記ではなく、簡略化・記号化して要点のみを」とアドバイスもごもっとも。
しかし、それで「簡略化・記号化した要点のみのメモ」が取れるようになった人はどのくらいいるのでしょう。
うっかりすると、先生の記号を覚えたり、自分なりの記号を開発したり、余分な仕事を増やしかねません。
紙のメモなんてとらずにすめばそれに越したことはありません。
私は基本、メモは頭にとっています。頭の中ですから、わざわざ記号を使うこともありません。聞こえたらすぐに映像化して、次々格納します。
この方法は名人芸ではなく、理に適っています。生理学研究所の先生に伺ったところ、人間の思考は抽象的な映像のようなもので始まる、とのことでした。思考は「原初の映像→音声→文字」の順で言語になっていくと見なすことができるそうです。
「音声→文字メモ」と「音声→映像メモ」では方向が逆でしょう?音声を聞いて音声で通訳するのだから、文字への寄り道は最低限にしたいものです。
ひとりよがりな映像にならない決め手が文法と写真撮影の共通点です。今は「一眼レフ法」と名付けてお伝えしています。
ちゃんと聞けば、紙メモはなくても大丈夫。
まあ、メモしないと周囲が不安がるので適当に書きます。新たな記号は使いません。英日通訳の場合はほぼ漢字です。簡体字もどきのようですが。
何事も、なぜそれをしているのか見失わぬよう、俯瞰し続けたいものですね。