わたしの英語のふるさとは…

横浜山手?三鷹?…まあ、それもそうですね。
確かに戸塚ではないなあ。
イギリス?…ああ、それはある。
でも、真打は福島だと感じています。

前回、福島の浜通りに出前授業するのは、親のキャッシュ頼みの日本の教育にちょっとばかり異を唱えたくて…と書きました。でも、それは理由の半分に過ぎません。

震災があってもなくても、英語をたずさえて福島に向かっていた、と思う理由があります。これはもう仕組まれていたとしか思えない。

福島、相馬にゆかりの深い恩師たちは、ことばの本当のひびきを味わい、限りなく想像をめぐらせ、平和を創る心を育むことを教えてくれました。その背景には言語学や英語教授法をはるかに超えた教養がありました。何が流行ろうと、これがほんものだと思っています。というか、私はこのバトンしか持っていない。恩師たちからお預かりしたバトンを、ご同郷の若い方がたに渡したい、と思っています。

勇先生追悼01

勇先生追悼01_01英語は道具だ、とよく言うけれど、間違っていても通じればいい、度胸が大事だ、という考えには感心しません。ことばという道具は世界文化遺産。便所ブラシではなく、ストラディヴァリ。ひとりひとりは天才ヴァイオリニストなのに、どうしてわざわざ不自然に低いレベルをねらうのだろう。

 

 

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