通訳を「訳す技術」から、人間の営みへ

通訳藝術道場は、
通訳を単なる言葉の置き換えや、
経験と場数に依存した職能としてではなく、
声・身体・思考・イメージが統合された
人間の総合的な営み
として捉え、
その力を再現可能なかたちで育てるための学びの場です。

AI翻訳や音声認識の進歩によって、
「訳すこと」そのものは以前より容易になりました。
一方で、話し手の意図や専門性、場の空気をくみ取り、
聴き手に届く形で再構成する力は、
いまも、そしてこれからも
人間の通訳者に委ねられています。

通訳藝術道場は、
その部分を感覚や勘に任せるのではなく、
誰もが育て直せる力として言語化し、身体化する
ことを目的としています。

通訳藝術道場で行っていること

ここで行っているのは、
即効性のあるノウハウの提供ではありません。

  • なぜ、ある通訳は深く伝わるのか

  • なぜ、同じ英語力でも差が生まれるのか

  • なぜ、調子の良い日と悪い日が出るのか

こうした問いを、
毎回の実践を通して振り返り、
再現できる形で整理していく

ことを大切にしています。

具体的には、

  • 聞いた言葉を、音声情報として処理するのではなく
    情景や構造として捉える力

  • 自分の声・呼吸・間を通して
    話し手の意図を立体的に届ける力

  • うまくいった/詰まった理由を
    感覚のままにせず、
    次につながる形で言語化する力

これらを、
少人数または個別の実践トレーニングの中で
丁寧に育てていきます。

経験や勘に頼らない「再現できる通訳力」へ

通訳藝術道場が目指しているのは、

「たまたまうまくいく通訳者」
から
「どんな場でも、一定の質で立ち上がれる通訳者」

への転換です。

専門分野や現場が変わっても、
通訳者としての軸が揺らがないこと。
その軸を、
自分の内側に確かにつくること
を何よりも重視しています。

探究の過程で見えてきた、二つの必然

長年、通訳の現場と教育に携わる中で、
二つの課題が繰り返し浮かび上がってきました。

ひとつは、
英語力や知識は十分にあるにもかかわらず、
語りが平板になり、
話し手の情景や熱量が
十分に伝わらないケースが多いこと。

もうひとつは、
通訳を志す人の多くが、
自分では気づかないまま
英語の基礎構造や音の感覚に
あいまいさを抱えていることです。

これらは別々の問題ではなく、
通訳を身体化していく過程で
避けては通れない、
同じ根にある課題でした。


通訳藝術道場から生まれた、二つの学びの道

こうした探究の延長として、
通訳藝術道場から
二つの学びの道が自然に生まれました。

語りの生命感を取り戻すために

らくご英語道場

落語という日本の伝統話芸には、
間・リズム・視線・声の運動といった、
語りに必要な要素が高度に凝縮されています。

これらを通訳者の学びとして再構成したのが、
落語をはじめ、中東のナスルーディンの物語などを
日本語と英語の両方で楽しむをらくご英語道場です。
真打落語家の師匠たちの指導も仰ぎます。

語りの身体性を取り戻すための探究は、
通訳藝術道場の実践とも深く結びついています。

らくご英語道場の詳細はこちら

英語の土台を徹底的に耕し直すために

Progress in English 旧版で英語の土台徹底リノベ講座

文法や語彙を「知っている」ことと、
音や構造として
身体で使えていることの間には、
大きな隔たりがあります。

この土台を丁寧に耕し直すために生まれたのが、
Progress in English 旧版を用いた
基礎力徹底リノベーション講座です。

通訳志望者の基礎のあやふやさに向き合うために生まれた講座です。
約1年半かけて中高5年分の土台を再構築します。

プログレス講座の詳細はこちら

すべては、通訳藝術道場という中心から

もちろん、これらの講座は単体で受講していただけます。
ただ、その根底には通訳藝術道場で培われた考え方と方法があります。

それぞれ独立した講座ではありますが、
「言葉を身体化する」という一点で深くつながっています。

そのため、いわゆる英会話レッスンや一般的な英語講座とは、
どこか香りが違うかもしれません。

はじめての方へ

この考え方や学びの進め方が、
ご自身に合うかどうかを
静かに確かめていただくために、
「はじめての方へ」ページをご用意しています。

ご興味のある方は、
そちらからご覧ください。

初めての方へ

 

最後に

専門家として積み重ねてきた経験があるからこそ、
通訳という役割を
ひとりで背負い込み、
不当な重荷を感じている方を
これまで数多く見てきました。

あなたの専門性には、
それにふさわしい通訳の在り方があります。

通訳藝術道場は、
その力を静かに、確かに育てるための場です。