【英詩講座レポート⑧】人間はそんなに偉いか?-“Unstooping” by Walter De La Mare

第1回でとりあげたウォルター・デ・ラ・メア(1873-1956)。
Some Oneでは人間の世界の向こうに広がる、自然の世界の不思議を感じさせてくれましたー夜明け前の森の小屋の扉を叩くノックの音…扉を開けると誰もいなくて、向こうの森からはフクロウの声…

さて、今回は…?

え?なんだか人間中心、動物に優位?

え、まさかデ・ラ・メアが、そんな…

Unstooping 
                       Walter De La Mare 
 
Low on his fours the Lion 
Treads with the surly Bear;
But Men straight upward from the dust
Walk with their heads in air;
The free sweet winds of heaven,
The sunlight from on high
Beat on their clear bright cheeks and brows
As they go striding by;
The doors of all their houses
They arch so they may go,
Uplifted o’er the four-foot beasts,
Unstooping, to and fro.

1,2行目のLion, Bearは大文字でしかもtheがついています。
初登場でtheがついていると、ライオンのなかのライオン、ライオンたるもの、というふうに本質を体現する代表を示します。「ライオンは百獣の王である」のライオンはthe Lion ですが、「オスのライオンは子育ても狩りもせず昼寝ばかりしている」はthe ではなく、そんじょそこらのa lionです。

さて、のしのしと大地をふみしめる立派なザ・ライオン(ビール?)とザ・熊と対比される人間は…ただのMen。ザ・人間ではなくただの複数形の「人々」。3行目のdust (塵)からまっすぐ立ち上がる、のくだりは、土くれから作られたアダムが神様の息吹に魂をもって人として生き始めた、アダムの創造を想い起こします。

アダムの創造は1回きりではないのでしょう。
ひとりひとりがアダムであり、「人々」はそれぞれ日々創造され続けているのです。

そのことが、第2連の天の風と光という精神の糧を頬に受け続け、晴れやかな面差しでいる、あたりに現れているのではないでしょうか。

strideも大股でさっそうと歩いていて爽快です。

第3連、玄関扉がアーチしているのは直立姿勢を保つため、と聞いた子どもは、アーチ扉を見るたびに思わず姿勢を整えるでしょうね。

close up photography of brown lion
Photo by Pixabay on Pexels.com

直立、とは書きましたが、デ・ら・メアはuprightという言葉は使っていません。upliftedと過去分詞です、受け身です。人がまっすぐ立つのは自分の気合頼みではなく、天から引き上げられてのことなのだ、と思えます。

そして最終行はunstoopingとタイトルにもなっている語で始まります。

unstoopで辞書を引いてみてください。たいていの辞書にはないでしょう?。OEDでも用例は4,5文しか載っていません。そんな言葉、第一印象はきっと「造語」です。しかも否定の接頭辞unがついています。

人間は肯定文を想像し、それをもとに否定文を作ります。いきなり否定文は作れません。

Unstoopingの場合、まずstoop(身をかがめる)が目に浮かびます。これは受け身ではなく、自動詞の現在分詞です。自分でしちゃうんですね。

となると…どうも「人間よ、お前は動物より優位だ。世に君臨せよ」とはだいぶニュアンスが違います。そもそも「人間の皆さん」がそんなつもりになったらSDGsどころではありません。

実は、この詩に描かれている人間はそんな強者ではないように思うのです。

弱い人間が絶望にうなだれ、孤立するのは簡単。

だからこそ、他者と共に、自らのみをより頼むのではなく、天に任せ、望みをもって思うように歩み続けよ、と励ましているのではないでしょうか。

この詩が何年に書かれたのかは不明です。

ただ、1910年ごろから英仏露と独・オスマン・ハンガリーの関係が悪化し、戦争の暗雲が近づきます。

人間がみずからの内なる獣性に屈服し、互いに戦い続ける時代の到来です。
立派なライオン、立派な熊が呆れるようなことを人間が性懲りもなく続けた時代です。

そんな時代に飲み込まれた普通の人々を、この詩は激励しているように思います。

新コロ騒動をデ・ラ・メアだったらどう描くことでしょう。

シュタイナー学校の先生のための英詩講座、明後日は何と旧約聖書、創世記の出だしです。
英語表現を深く理解するには、キリスト教の知識が不可欠です。一方通行講義はしません(できません)。ご参加の皆さんの疑問、発想を中心に一緒に旅をします。ぜひご参加ください。

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