平板な通訳口調を脱するには

今年も大学での通訳養成が始まりました。たいしたもんです。私、20歳のころ、通訳のクラスをとろうなんて思ってもみませんでした。学生時代はボランティアのチャンスもたくさんあるし、がんばろう!

ん…?

このごろの若い人たちはどこでも同じ話し方?。確かに、お母さんと電話で話すときも、売店で店員さんに質問する時も、先輩に挨拶するときも、同級生と何をお昼に食べるか話すときも、先生と話すときも…似ている。私の学生時代ほど「切り替え」をしないよう。

これを内田樹さんは「身体の言い分」の中でこう書いています。

「今の子どもたちの話を聴いていて、いちばん感じるのは、語彙の貧困というよりも、『ヴォイス』の貧困ということなんです。一つしかないんです、語り口が。…(中略)…同じコンテンツを違うモードで伝えるというのはコミュニケーションの技術の中ではすごく大事なことなんです。それができないと、ほんとに自分の言いたいことも伝えられないし、相手のシグナルの機微も感知できない、コミュニケーション感度の低い人になってしまう。コミュニケーション感度が低いというのは、共同的に生きていくうえで致命的に不利なことなんですけれど、そのことの重要性にまだあまり気づいていないですね。」(「身体の言い分」34-5ページ)

通訳者にもいます。語り口、ヴォイスが1つしかないひとが。誰を訳しても同じ調子になる。それも相当に平板な。スピーカーのノンバーバル(文字化不能)なメッセージがそっくり抜けてしまう。

たしかに、まるっきりスピーカーをまねっこをしてはおかしいです。でも、不自然にならない程度に、ノンバーバルな部分を共鳴させると、とても聞きやすい、疲れない、と喜ばれるんです。喜ばれるからやるのではなくて、当然やるべきことと思っていますが。

豊かなヴォイスをもつには、芸、修行の世界が大いに参考になります。たとえば落語。与太郎、金ちゃん、熊さん、ご隠居さんがみんな同じヴォイスだったらどうです?落語家さんはみ与太郎のときは与太郎に、熊さんのときは熊さんそのものになっているでしょう?

ということで、通訳の授業を取りたい人は、ぜひ落研にも入るようおすすめします。


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