通訳者にとって自己実現より大切なことは
ストーリーテリングの通訳には商談や学会と違う難しさがあります。
「え…小さな木の根元にバラバラの骨。それがカタカタいって寄り集まったら筋、血管、肉、皮膚がついて…おかしい、と思ったんですけどついていきました。」
そう、それでOK!
おかしい、というのは日常の自分の常識、論理の声。常識と論理で耳を裁かないで。耳はストーリーテラーの言葉に傾けて。

そりゃ世界民話伝説集を読んで全部覚えれば、たいていのストーリーのあらすじ、登場人物は用意できる。でも語りって生き物。ストーリーテラーと聴衆が出会う旅に少しずつ違う。その違いこそ宝。
その違いをとらえるにはその瞬間に耳をすませるしかないのです。その瞬間に語られた言葉を正しく受け取れる耳を持つしかないのです。聴き取った言葉をあつめてストーリーテラーが見ている景色を再現する訳をするしかないのです。
いや、それだけやれば十分。ほかに余計なことはいりません。おかしい、と思って常識と論理で裁くのは余計なことです。
常識的にはおかしな言葉が耳から入ってもなんともない。どんどん景色に変わっていく。それを平然と語り続ける。
そんな通訳者は何事もないように自己消滅、自己超越してゆく。自己主張、自己実現の話題は高校あたりの修養会で卒業しておけば。
え?まだ気になる?今の自分を壊すもの、自分をはるかに超えるものに遭遇するしかないね。
沢山用意してお待ちしています。