一流とそれ以外、分かれ目は才能ではなく…

ヴァイオリンを弾く、というと必ず訊かれます。「小さい頃から習ってたの?」

はい!28歳のときから。

やってみてわかりました。こりゃ大した才能じゃない。2歳から始めてなくてOK!あの頃は田んぼでザリガニ引っ張ってて正解。

それでも続けるのはなぜ?

練習するほどに変化する感覚が面白くてたまらないんです。はじめはすべてあべこべ。意識することと忘れていいこと、力を抜くところと入れるところが逆。大変、不自由、みっともない。いくら本に書いてある言葉、先生のアドバイスをアタマで反芻してもダメ。練習するしかない。するとあるとき階段をひとつ登るような変化が訪れます。なんだ、こういうことか、あの言葉はこういう意味だったのか、と腑に落ちるときが。

おなじみダニエル・T・ウィリンガム教授が面白い調査を紹介しています。ヴァイオリンの腕を上げる決めてについてフロリダ州立大のアンダース・エリクソン教授が西ベルリン音楽アカデミーの協力を得て調べたもの。

エリクソン教授は論文要旨でずばり、こう書いています。

Many characteristics once believed to reflect innate talent are actually the result of intense practice extended for a minimum of 10 years.
先天的な才能を反映するとかつては信じられていたさまざまな特徴も、実は集中的な練習を少なくとも10年続けた成果なのだ。

エリクソン教授の要望で西ベルリン音楽アカデミーの教授は調査対象となる学生を指名、レベル分けしました。bestは国際的ソリストとしての活躍が期待できる学生たち。goodもそのつもりでやっているようだけれど教授陣の目には残念ながらそうは見えない連中。

そこにprofessional=世界的に知られるオケのメンバー、teachers=学校の先生も加えて4グループを比較しました。その項目は練習する時間帯、回数、曜日、昼寝のパターン、普段の睡眠パターンなど多岐に亘ります。

なかでも耳の痛い「因果関係」がはっきり見えたのは練習時間。

週あたりの練習時間をご覧ください。

Psychological Review 1993 Vol.100 No.3 363-406より
Psychological Review 1993 Vol.100 No.3 363-406より

累積はこちら。

Psychological Review 1993 Vol.100 No.3 363-406より
Psychological Review 1993 Vol.100 No.3 363-406より

つまり、学校の先生が20歳までかけて練習した分を、プロやソリスト有望学生たちは1415歳まででこなしているということです。

論文によればプロ、ソリスト組は「練習したつもり」の時間と実際の練習時間の差が少なく、good, teachers組ほど多めに見積もるそう。

ということは、実際の差はもっと大きいことでしょう。

Confirming our theoretical framework, the violinists in all groups rated practice alone as the most relevant activity for improving violin performance. Among all the activities rated highly relevant, practice alone is unique: A violinist can extend its duration at will because no external resources, such as availability of teachers or audiences, are involved.

我々の理論的枠組みを確認する如く、どのグループのヴァイオリニストも、演奏の腕を上げることと最も密な関わりがあるのは練習のみとしている。相当密な関わりがあるとされた活動のなかでも練習はユニークだ。練習時間は本人の意のままに伸ばすことができる。外からのリソースは何もいらない。先生の都合や聴衆の有無は関係ない。 

このコの響きを聞いたとき、私だ!と感じました。
このコの響きを聞いたとき、私だ!と感じました。

ウィリンガム教授はこのことが科学者にもあてはまるとしています。

The great minds of science were not distinguished as being exceptionally brilliant as measured by standard IQ tests…What was singular was their capacity for sustained work.

偉大な科学者たちは標準的なIQテストで測れるような意味で、ずば抜けて頭がよかったというわけではない。何より並外れていたのは、取り組み続ける力のほうだ。

さあ、もう先天的才能を言い訳にはできませんよ。

Another implication of the importance of practice is that we can’t be experts until we put in our hours. A number of researchers have endorsed what has become known as the “ten-year rule”: one can’t become an expert in any field in less than ten years, be it physics, chess, golf, or mathematics.

もう一つ、練習が大切であるということから言えるのは、エキスパートになるには時間をかけねばならないということだ。数多くの研究者がいわゆる「10年の法則」を支持している。ある分野のエキスパートになるにはまず10年はかかる。物理でも、ゴルフでも、数学でも。

どうです、大変そう?

私はこれも人間らしい自由のひとつだと思う。

馬は走る才能に恵まれている。鳥はさえずり空を飛ぶ才能に恵まれている。でも馬は空を飛びたいと憧れる?…こっそり練習したりする?鳥は馬みたいに走りたいと憧れる?地面をひた走って猫をびっくりさせたりする?。

人間は与えられた才能が乏しくても、憧れを抱き、練習できる…なんて自由なんだろう。

さて、これまでの私の雀の涙のような練習時間はご破算と願いまして…1年に300日、11時間練習するとしてあと何年で11000時間?おお、38.6年。ちと長い。2時間はちょっと…1.5時間なら24.4年。

もし今みたいな調子だと55年かかってしまう…生きていればそれはそれですごいけれど。

弾きたい曲は3曲しかないのですが…こりゃボヤボヤしてるひまはない!

 

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