学習優位感覚、MI。思わぬ使い方に提唱者が困惑
生徒はお行儀よく座って先生のお話を聞き、板書を写す…そんな授業は情報そのものに稀少価値があった昔のやり方。現代にふさわしい方法はないか…向上心豊かな教育関係者の心をとらえたのが学習スタイル(学習優位感覚)と多重知能理論(MI)。どちらもアタマだけでは学べないことを強調し、学び手ひとりひとりの多様性、可能性に光をあてる視点です。ところが勘違いした実践も多く、当の提唱者自身が当惑しているというのです。
アタマだけでは学べない
学習優位感覚(学習スタイル)とは
学習スタイル説にはさまざまなモデルがあり、提唱者もさまざまです。今日よく話題に上るのがVAKモデル。人間の学びには感覚の中でもVision視覚・Audtition聴覚・Kinaesthesia体感覚(触覚・運動感覚)が大きな役割を果たし、場面によって優先的に使う感覚があるという説です。例えば私は通訳するときは聴覚を主に使いますが、車を運転するときは視覚、体感覚を優先的に使う、というふうにです。
この視点には私も教員時代に大いに助けられました。先生たちは聴覚をよく使う人が多いそうですが、私もそうだったのです。ベストを尽くたつもりでも自分と似た生徒たちに有利な授業をしてしまう。視覚や体感覚を使いたい生徒たちが置いてきぼりになってしまう。この子たちが飽きて「自分は集中力がないんだ。頭が悪いんだ」と思い込むとしたら、原因は誰?そこで視覚、聴覚、体感覚をバラエティ豊かに使うアクティビティを揃えたのです。
多重知能理論(Multiple Intelligences)とは
今日では9つ、12、とさらに細かくわけた説もあります!
提唱者が困っている?!
そもそも感覚は身体に属するもの。教師が観察するならともかく、生徒が自分で意識しすぎても不自然です。
Urban Myths about Learning and Education「仮題 学習と教育をめぐる都市伝説」 (by De Bruyckere, Kirshnerm, Hulshof/ Elsvier, 2015)では逆効果に警鐘を鳴らしています。
“Frequently, as Clark later explained, so-called mathemathantic effects are found; that is, teaching kills learning when instructional methods match a preferred but unproductive learning style.”
「よくあることだが、クラークが後述する通りいわゆるマテマタンティック(学習の死)効果がみとめられた。教えたばかりに学びが死んでしまったのだ。教え方を、お気に入りだが非生産的な学習スタイルにぴったり合わせたがために。」
“Without doubt, some of the distinctions made in the theory of multiple intelligence resemble those made by educators who speak of different learning styles. Many of them speak of spatial or linguistic styles, for example. But MI theory begins from a different point and ends up at a differnt place from most schemes that emphasize stylistic approaches.”(p.44 Multiple Intelligences theory in Practice /Basic Books)「間違いなくMIの区分のなかには教育関係者が提唱しているさまざまな学習スタイルに似ているものもある。たとえば彼らの多くが空間タイプ、言語タイプと言っている。しかしMI理論の出発点も到達点も、それらの矢鱈に『スタイル』でアプローチするスキームとは殆ど異なっている。」
学びに魔法はいらない
学習スタイルは血液型や星座のように固定的なものではありません。学びの近道や人心操作を可能にする魔法の道具でもありません。学習優位感覚も多重知能理論も、教える者が学び手の内なる多様性を尊び、学び手が自分の豊かさに気づくツールなのではないでしょうか。