性的マイノリティへの抵抗あり、なしの違いはもしかして
友人「LGBTの人なんて全然いないー!」
私「え?私の周りには結構いるよ。」
え?彼女とは共通の友人が多いのに。
なるほど、私にはカミングアウトしているけれど、彼女にはカミングアウトしていない友人が相当いるみたい。
確かに、私はLGBTなんて言葉は別になくてもいいのにと思うほど、LGBTの方々に抵抗がありません。ここで「抵抗」という言葉を使うのに抵抗があるくらい。
地元、戸塚の八坂神社でこんなお祭りを見て育ったのも理由のひとつかも。
で、「抵抗のある」人たちとは価値観と言うより着想が違う気がするんです。
きっと「世の中には普通の男と女だけがいればいい!」と思う人たちは図1のように枠で仕切って捉えている。だからどちらかにきちっと入らない連中はノイズ、エラーになる。
でも、私は何事も右の図2のように見えているんです。ゆるやかな集中点がいくつかあるけれどひとつではなく、周縁には壁もない。そして重なり合っている。普通の男、女、という人たちはこの分布の「集中点」らしいところに無理やり枠をはめているようにも見えている。
図1は人々を味方 we と敵 they にわけるには便利でしょうね。
図2は友だちの友だちは友だち。距離にはいろいろあるけれど。
図1は強そうだけど弱そう。
図2は弱そうだけど強そう。
え、黄色いところは何って?
言語には男性名詞、女性名詞、中性名詞ってあるでしょう。それです。
言語は全員参加の文化遺産。一見分かりにくい、でも無意識的な叡智が宿っているようです。(だから「英語は間違っても発信が大事」なんていう愚民による愚民化政策は大迷惑です。)