宮城の親方たちに見た「学び上手は手放し上手」

オーストリアから 初来日した 地域熱供給を実現する エンジニア講師陣。特別仕様のパイプ敷設トレーニングのために宮城を訪れました。私も通訳として密着同行しました。

宮城で教わるのはこれまたベテランエンジニア。オーストリアと日本では工法も道具も違います。どれほど抵抗されるかと思いきや…

大ベテランの大将こそ、赤ちゃんみたいに柔軟なんです。

「うん、わかった。この5日はこの外人さんたちが先生だな。
わざわざ来てくれたんだもんな。ひととおりぜんぶ教わろう。」

それまでの経験と知識、スキルをすべていったん脇に置きました。

そして5日経ってみると…いったん手放したはずのすべてが、自然と新しい学びに馴染んできたというのです。

どういうこと?

親方たちは従来の観点を脇において、新しい体験を受け入れ、新しい視点を得た。すると、従来の経験、知識、スキルにもこれまで見えていなかった新しい面が見えてきた。それが、新しい方法とよくなじむようになった。

従来のものを従来の目で見ていては足し算の世界にとどまります。

「あ、これ俺やったことある。○○と似ていますよね。日本にもありますよ。」

自分の過去の経験から類似するものを探し、「古い自分」に新しい方法をなじませようとする人もいます。でも、ね…推して知るべし。

古いものはいったん失われたように見えても、新たな視点により、甦るべきものは甦る。大ベテランの大将はこんなこと、何度も経験して先刻ご承知だったのでしょう。

プロ通訳者も同じことです。通訳学校を出ればいっちょ上がりではありません。日々、小さな死と再生を繰り返す。学びって掛け算です。

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