全会一致に甘んじるな
「提案に全員の賛成が得られなくて…でもみんなの気持ちが聞けてよかったわ」
ええー?本当にそれでいいの?
起きたことを感謝をもって受け止めるのは素晴らしいことです。
でも 当初の願いとのずれは?
みんなの気持ちはもっと前もって知っておけたんじゃないの?
その提案はグループ内の相互理解促進じゃなくて外の社会に奉仕するためじゃなかったの?
全会一致を大切にしているグループの様子を聞くたびに心配になります。全会一致をスタート時点に固定しすぎていませんか。
昔、貴族の殿さまの命令通りにすべてが行われていた時代は、平民の全会一致は革命的だったのでしょう。そのころはラインもメールも通勤もなく、時間もたっぷりあったのでしょう。
今は生活も技術も複雑化しています。人によっていろんな分野のスキルに差があります。車を運転する人としない人、ウェブサイトを作れる人とそんなのとんでもない人。ビジョン、イメージを共有するのは至難です。そのための説得やプレゼンは大変です。
だいたい、プレゼンしたってその通りになんてなりませんって。
ひとりでもやる気のあることだけ、ひとりでも自腹でも始めなよ。
全会一致にはだんだんと向かえばいい。始めは言い出しっぺと応援者で始めればいい。グループの資産を使うなら、まめに報告すればいい。撤退ラインを決めておけばいい。だんだんと応援者が増えればいい。そして、最後にみんなが「よかったね」と言えればとってもいい。
スタート時点の全会一致は内向きになりがちです。何も動かないのにそれでみんなの気持ちがわかってよかったなんていうのは、私は性に合わないな。
まあ、映画、Fukushima Fiftyをご覧ください。これは非日常ではありません。日常です。生きるとはこういうこと。
みんなで最後によかった、と言えたらと思うと泣けてくる。
公式サイト Fukushima 50