拒食症だった私の本願は…?!
持続可能な未来のための通訳者、冠木友紀子です。
なんて書いておいて、実は気持ち悪いのです。持続可能、国連のSDGs、本当は甘っちょろいと思っているのですけどね。まあ、わかりやすいから使っているようなもので…
本音は…そう、昨日、気の置けない友人たちとの新年放談にて、自分の本音を釣り上げられる思いがしました。スッキリ―!
「高校生の頃、摂食障害だった。一般には要求が多い母親と 弱い父親のせい、とか大人になりたくないから、とされてるけどなんか違う。浅いと思う。シュタイナー医学では、本人が受肉したがっていないという思いにもっと注目すべきと言っているけどそれもなんか物足りない。」
てなことを私が申しましたら、精神科医のM子さんがこう言うのです。
「同感。拒食症のひとって、自分の身体を受肉したくないというか、こんな世界に受肉したくない、と思っているところがある気がする」
どんぴしゃり。
「こんな世界」とはどんな世界かというと…ワイルドな生命のありようがゆるされない世界。すべてが人間の都合で扱いやすく飼いならされている世界(そうは問屋が卸さないでしょうが)。
これでベジタリアン、ヴィーガンに感心しながらも違和感を覚える理由も氷解しました。
動物であれ、植物であれ、人間の食べ物となるために飼育、栽培されたものを食べること自体に罪悪感があるのです。
拒食症のときも、母の料理がいやだったわけではありません。人間本位に操られた生命を、料理という文明を通して口にすることが耐えられなくなったのです。
さて、こうなるとやっぱり採集狩猟生活ですかねえ。性に合ってるのはわかってましたが。
でも、時代と和解するのも私のテーマです。来週、宮沢賢治の「春と修羅・序」との再会で何が出てくるでしょうか?
【特別臨時講座1月13日】英訳と日英言語造形で味わう「春と修羅・序」