「死」をめぐる、とある英語表現

中2の英語で現在完了(正確には現在時制完了相)なるものを習ったとき、奇妙な文を目にしました。

My grandfather has been dead for three years.

え、おじいちゃん、どうしたの?入院してるとか、老人ホームに入っているとかじゃなくて?生きてるの?死んでるの?いるの?いないの?

ちょっと頭が混乱しました。

隣の席の、成績のよかったクラスメートが「3年前に亡くなったってことよ。」とかなんとか教えてくれたのを思い出します。

じゃあ、My grandfather died three years ago.でいいじゃん。

そんなふうに思ったのも覚えています。

今の私なら、35年前の私にこんなふうに伝えます。

あのね、同じ風景を語る表現が2つだぶって存在することってまずないの。表現が違えば心の風景が違う。心の風景が違うと言うことは気持ちが違うということ。その違いを細やかに受け止めましょう。(なので、クラスメートのような訳は通訳道場ではダメ出しされます。)

My grandfather died three years ago.の時制は過去時制。おじいちゃんが亡くなったというできごとが「ずっと遠くの景色の中の点」のように描かれています。今と直接結びついてはいません。このあと、「以来、おばあちゃんは独り暮らしです。Since then, my grandmother has been living alone.」と現在時制完了相が続きそう。

手のとどく自分空間と届かない非自分空間の2つにわけて考えると時制、人称などなどすっきりして、英語のシンプルな美しさが感じられます。

さて、My grandfather has been deadの時制は?

hasは現在時制。ってことはbe deadが過去からずーっと続いて「今」の一部になっているということ。

さて、beはなかなか奥が深いんだけれど、意味の核心は「在る」「存在している」。ときどき数学のイコールだ、なんていう人がいるけど、それはすぐに行きづまる説明。あくまでも「在る」。どういうふうに「在る」かをつけ加える、アクセサリーのような言葉があとに続きます。

I am a cat /or/ hungry /or/ running / staying in London / dead
私は在る、猫として/or/ 腹ぺこで /or/ 走りながら / ロンドンに滞在して / 死して

…てことは、おじいちゃんはしっかり存在し続けています。deadという状態で。

これは「死んだら居なくなる」という近代的、合理的、物質主義的な気分とはだいぶ違います。

言語表現には、そういった近代的感覚が生まれるはるか以前の人間の心情が残っています。それに近代ローラーをかけてはいかん。自分の心が殺伐としてきます。

Google先生の成果です。
My grandfather died three years ago. 私の祖父は3年前に亡くなりました
My grandfather has been dead for eight years.私の祖父は3年間死んでいます

後者はふだんあまり聞かない日本語ですねえ。変だけれど面白い。

たぶん、おばあちゃんがふと漏らす「じいちゃん、あっちへ行って3年だ。」くらいが近いのではないでしょうか。

人は存在し続ける。肉体があっても、なくても。

そんな感じ方をhave been dead に思うのです。

言語をめぐる皆さんの疑問、リクエストお寄せください。

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