「ブレない自分」と言えなくてもいい
持続可能な未来のための通訳者 冠木友紀子です。
世の中には2種類の人がいるようです。自分は「ブレない」と言い切れる人と、そうでない人。
最近は、前者の方がしっかり生きていると評価されがちです。「自分はブレない!」と明言できないと自分はダメ…?
そんなことはありませんよ。
私も「ブレない」礼賛派には違和感を感じつつも、理由をうまく説明できずにいました。
でも、謎が氷解しました。言語造形家の諏訪耕志先生によるシュタイナーの「普遍人間学」オンライン講座でのことです。やっと腑に落ち、慰め、励まされる思いがしました。(以下、変なところがあるとしたら、私の表現の拙さゆえです。)

ひょっとして「なぜやろうとしたのか頭ではわからないけれど、どういうわけか自然に実行できている」ことってありませんか?普通に考えたら寄り道、無駄、ブレだけれど、続いていることってありませんか?
それをわざわざ辞めたらもったいないです。
なぜなら、導かれてのことかもしれないから。
私たちの心にはさまざまな働きがそなわっています。ものごとを対象化して分析する働きもあれば、わけもなく何かを自分に取り込み、ひとつになりたいと「欲する」働きもあります。
「欲する」という働きには昼間の頭では捉えきれない、野生のような、闇のようなところがあります。その全体像は昼間の頭が幅をきかせる地上の生では捉えようがありません。地上では完成をみない働きであるともされています。
そしてなんと、その全体像、到達点が見えているのは彼岸の私!この彼岸の私が此岸の私を導いているそうです。
だから「なぜ?」とアタマで疑うのをやめ、安心して導きに任せればよいのです。
今日の此岸では「ブレてる」生き方も彼岸から見たら、一本の絹糸が通って見えるかもしれません。
そういえば、ビジョン(vision)、ヴォケーション(vocation)ももともとは人を超えた存在が、突然見せるもの、呼び出すことでした。
地上の人間にとっては意味不明で迷惑なことも静かに受け止める。そして遣わされる(ミッションmission)のも人の性ではないでしょうか。