原因不明の病でこそ、新たに生まれ変わる
持続可能な未来のための通訳者、冠木友紀子です。
医療の症例検討会の通訳をしていると、ふと思うことがあります。
病には因果関係で説明がつくものと、つかないものがあると。
そりゃ、大酒を飲み過ぎて肝硬変になった、さんざんタバコをすって肺がんになった、などはまあそりゃそうだ、と思います。
でも、一滴もお酒を飲んでいないのに、タバコも吸ったことが無いのに、同じ病を得る方もあります。
因果関係がはっきりしないと、なおさら不運だったように思えるものです。
ある若い友人がうつ病になったときのこと。大切に育てられた彼の成育歴に「原因」らしきものは見当たりません。
すると、周りの人たちは本人がいないときに「あいつは甘やかされて育ったんだ」「世間体のいい家庭の中は本当は冷たいんだ」などと言い出したのです。まるで「恵み」まで疫病神扱いするように。私はこれに強い違和感を覚えました。
そして、病には、大酒のみの肝硬変のように過去からやってくるものと、彼のうつ病のように未来からやってくるものがあるのでは、と感じたのです。
未来からやってくる?
そう。過去が悪かったわけではありません。今も十分幸せ。でも今生の自分のつとめに今後出会うためには、今のままではちょっとおぼつかない。
そんなときに未来からの鍛錬として病が与えられることもあると思うのです。
世の中の流れから置いて行かれたような気持ちになり、死を想い、どん底を見る。生きながらこれまでの生を振り返る機会に恵まれて、甦る。そう、魂が病という体験を経て甦る。そんなこともあると思うのです。
うつだった青年は錆びやすく柔らかい鉄のようでしたが、いまでは鋼鉄のようにすっきりたくましいおじさんです。何年もかかりました。でも、あの体験がなければ今の自分はないと言っています。
病気になった自分を責めることはない。因果関係ばかりに説明を求めることもない。
今を抱きしめる。未来からの導きに任せる。
まあ、大酒のみ、ヘビースモーカーのみなさんは少し自分の健康を気にしてください。
どちらも猫はあたりまえのようにできているようですが。