私の嫌いな言葉「通訳者の『拘束時間』」
先日、聴覚発声メソッドのパイオニア、トマティス・メソッドの講座を通訳をしていたときのこと。休み時間に講師のフランソワーズ先生がこぼしました。
「トマティスの国際学会でも通訳探しにはほとほと苦労してるのよ。ぴったりの人が見つからない。事前準備不足で専門用語がぼろぼろか、ちゃんと準備してくれる人はエージェントが時間にうるさくて。5分の延長もその場でエージェントに連絡。そのやり取りに5分以上かかるんだから、もう。」
日本でもよくある問題です。特に後者。「拘束時間」なんていう用語さえあります。
私は「拘束時間」という言葉が大嫌いですし、使いません。和英辞典を引いても英語にこんな言葉はありません。

仕事はひとさまに喜んでもらうこと。通訳の現場ではどうしたらもっと喜んでもらえるだろう、とばかり考えています。拘束されているなんて思ったこともない。そりゃ、勝手に現場を抜け出して地元で人気のラーメン屋さんなどに出かけてはいけません。でも、そんなことしようとも思いません。
まあ、2時間延長になるなら、ペース配分が狂いますから前もって知らせてほしい。
でも。2時間のびても拘束とは思いません。
だって、自分もプロジェクトの一員と思っているから。私が拘束されているなら、プロジェクトのみんなも拘束されている。そんな囚人集団で仕事がうまくいくものでしょうか?
みんながライフワークと思ってかかわっているのに、通訳者ひとりが拘束時間なんてケチなこと言うなんて、野暮ってもんです。
私は細かい時間をお金との関連で気にせずにすむよう、年間契約、プロジェクト契約を基本にしています。時間単位の単発もそれがベストの方法と思える長いお付き合いの方のみです。
通訳は疲労が激しいし、年間契約は難しい?
数時間の通訳で疲れるなら身体の使い方に改善の余地があります。生理学・芸術にかなう準備を整え、芸としての通訳ができれば、時間切り売りを卒業できるはずです。
そう望む通訳者の皆さんを全力で叱咤激励、応援します。
拘束時間なんてね、酔っぱらって留置場の虎となった折にでも使えばよろしいのです。