「クワイ河収容所」をもう一度

「人間には体と心しかない。精神(霊)などない。だからダメなんだ」と中世の教会が結論したことがありました。ひとに宿る精神を確信するひとびとは、教会に真っ向から反論し戦うのではなく、その思いを物語とし語り伝えました。それが今も語り、読み継がれる「パーシヴァル」だと言われています。

この国が質的に大きく変わった今日この日、私も「パーシヴァル」の語り手に倣うことにしました。アーネスト・ゴードン氏は第二次大戦の日本軍俘虜として泰緬鉄道の強制労働に従事させられました。その手記「クワイ河収容所」は日本を責めるのではなく、戦場でいかに生に絶望したか、そこからどうやって回復したか、自分と仲間の心を自分の言葉で伝えています。この本を、英語と、齋藤和明先生の日本語訳で読み、語る小さな集いを始めたいと思います。郡山のLa Vidaさんのaチェア、aテーブルを一緒に囲んでくださる方を求めます。

いま、初版はきわめて入手困難です。ただ、18年前に、母校での授業のためにICU図書館でコピーしたものが手元にありますから大丈夫です。これは手放してはならないとずっと思っていました。

1回2時間程度、同じところを読む回を2、3回もうけてから次に進もうと思います。まだ何も決めていませんが、まずは呼びかけておきたかったのです。詳細のちほどお知らせします。続けられる方法で続けます。

以下、「クワイ河収容所」よりご紹介。
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10306396_926800040679671_4059589342635760498_n その日、一日の仕事が終了した。ただちに工事用具の確認が行われた。確認がすみ宿舎へ帰る寸前というところで日本軍の俘虜監視兵が、シャベル1本が足りないと宣言した。その日本兵は、タイ人に売ろうとして誰かが盗んだのだと主張した。俘虜たちの列の前を彼は大股で歩きつつ、どなりちらしていた。俘虜たちが卑劣でおろかであること、さらに最も許しがたいことには天皇に対する忘恩の不敬を犯していること、それらをなじった。
さらに彼はブロウクン・イングリッシュの憤怒の声を張りあげて、盗んだ者は一歩前へ出て罰を受けろと命令した。だが誰一人動かなかった。監視兵の怒りは一段と強まった、すぐに暴力をふるうだろうと誰もが思った。「オール・ダイ!オール・ダイ(全員死ぬ)!」と、逆上した彼は、金切り声で叫んだ。
彼は自分が本気であるのを示すために、銃を取り安全装置をはずし、肩にあてて狙いをつけた。俘虜たちをひと通り眺めたうえで左端の者から射殺しようとした。
その時、そのアガーイル隊員が列の前に進み出たのだ。彼は直立不動の姿勢をとり、こう言った。穏やかな声だった。
「私がやりました」
監視兵はそれまで熱しつづけていた怒りを一気に爆発させた。彼はその気の毒な俘虜を蹴飛ばした。こぶしでなぐった。それでもアガーイル部隊の兵士は姿勢をくずさなかった。鮮血が顔に流れた。それでも彼はうめき声を出さなかった。その声ひとつたてない落ち着きが、監視兵の憤激をよけいに駆りたてた。監視兵はいったん手放した獣の重心を握って高く頭の上に振り上げた。そして一声わめき声をあげて、銃尻をアガーイル兵の頭蓋骨へ振り下ろした。彼の身体は、ぐにゃりと地に倒れて、それきり動かなかった。死んだのは歴然としていた。それなのに、完全に死んでしまっているのにであるが、その監視兵は、幾度も銃尻を振り下ろしてアガーイル部隊の兵士をなぐり続けた。ついに、やっと自分が疲れはてたとき、なぐる手をとめたのである。
労働班の仲間たちは戦友の遺体を持ち上げ、用具をかついで収容所に向かって行進した。
収容所の門衛のところでも、検査がある。用具はもう一度勘定された。ところがシャベルは、一本足りないはずなのが、全部そろっていたことがわかった。
この話がくり返し伝えらえた。そしてすばらしいことだと言ってよいと思うが、いつ語られても、アガーイル兵に対する俘虜たちの賞讃の念のほうが、日本軍の監視兵への憎悪を超えて強かった。」

(「クワイ河収容所」アーネスト・ゴードン著 齋藤和明訳 ちくま学芸文庫)

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