私の趣味ではないアファメーション (8月11日)
「今日も一日、私はポジティブな気持ちで幸せに過ごします」
といわゆるアファメーションを唱えるようにすすめられた、と
友人が怪訝そうな顔で言いました。
それを聞いて、私はもっと怪訝そうな顔をしたことでしょう。
ポジティブって、どんな次元の、なんのことでしょう?
ネガティブってそんなにいけないことでしょうか?
人のからだが生きていることは
「リズムをもって動いていること」に見てとれます。
そのリズムがあからさまでなくても、内的、静的な動きであっても
生きているものにはリズムと動きが宿っています。
心も似ています。
さまざまな喜怒哀楽のあいだを、
振り子のように行ったり来たりして
知らないうちに螺旋のような成長の道を
あゆんでいるのではないでしょうか。
だから、怒りも悲しみも、経験としては
喜びや楽しみと等しく尊いと思うのです。
問題は、一か所に滞る、スタックすること。
浅い、というか低い喜びにスタックしているのは
悲しみに沈み続けるのと同じくらい、心配な状況。
さまざまな感情を季節のように味わうことから
他者の気持ちに寄り添いたい、という想いも
生まれるように思うのです。
「あなた方を迫害する者のために祝福を祈りなさい。
祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。
喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」
—- ローマの信徒への手紙 12章14-15節—-
自分がポジティブかネガティブか、なんて
どうでもいいのです。
そんなこと気にしていること自体がすでに不自由。
自由に、他者と共にあるという至福を想います。